有田芳生 プロフィール

【有田芳生のプロフィール】1952年、京都府生まれ。父は共産党京都府委員会副委員長で、参院選に出馬したこともある。学生時代から、共産党の学生組織・民主青年同盟(民青)に所属。共産党系・新日本出版社を経て、フリージャーナリストとして『朝日ジャーナル』『週刊文春』で、統一教会報道に携わる。地下鉄サリン事件以後は、オウム真理教問題のコメンテーターとして名を売った。2007年参院選比例、2009年衆院選で共に落選、2010年の参院選選挙比例で初当選した。権力に擦り寄る一方、共産主義者(左翼論者)として日本解体へと舵をとらんとする言行に危惧する声が後をたたない。

名前「ヨシフ」は、政敵や知識人、反対論者を片っ端から強制収容所に叩き込み、虐殺したヨセフ・スターリンにちなんで命名されている。自分に都合の良い人は徹底的に利用し、都合が悪い人は手段を選ばず社会的抹殺を策略する嗜好は、まさに共産主義者そのもの。

2013-07-31

有田芳生 自分が所属する政党を「ヌエ(妖怪)」よばわり

ヌエ (討鬼伝より)

                           

7・21 参議院選挙 東京選挙区。

選挙前、民主党は現職の鈴木寛、大河原雅子両氏を公認していました

しかし、このままでは共倒れになりかねないと、公示日の2日前に大河原氏の公認を取り消し、鈴木氏に候補を一本化反発した大河原氏は無所属で出馬を強行、菅直人氏ら民主党の一部が大河原氏応援に回ったため、事実上の分裂選挙に。開票日、まず無所属の大河原氏が落選。さらに、鈴木寛氏も次点で落選しました。


この選挙に対し、“民主党”の有田芳生氏は、週刊プレイボーイの取材に対し、こう答えています。


「安倍・自民に対して、きっちりと対抗軸を打ち出した政党や候補は強かった。

無党派の反自民票の受け皿となったからです。ところが民主にはそうした明快さが欠けていた。

まるでヌエ妖怪のような政党


になってしまった

これでは有権者が信用できないのも当たり前です」 (週刊プレボーイ 32号


心ある民主党議員ならば
「選挙の敗因は、同じ民主党に所属する自分自身にもある。
国民の心をつかめなくて申し訳ない」
と考えるのではないでしょうか。

それを自分の所属政党をヌエ(妖怪)よばわり。
民主党は「妖怪」だから有権者が信頼できなくても仕方がない。
まったく他人事のように切り捨てますね。


「都合が悪くなったら、人のせいにする」



有田芳生先生の政治信条wwwがここでもよくあらわれています。


お望みどおり、民主党のことをこれから“ヌエ党”とお呼びした方がよいかもしれません。



「ヌエ党 国会議員の有田芳生でございます!。私も含め、私たちはヌエ(妖怪)なので、有権者の皆様が信頼できなくても、私たちは仕方がないと思っています。皆さん、怖がらず近づいてください」とでも街頭遊説されたらいかがでしょうか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


鳥山石燕「画図百鬼夜行」より「鵺(ぬえ)」

鵺、恠鳥、奴延鳥(ぬえ)は日本で伝承される妖怪である。

『平家物語』などに登場し、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビで(文献によっては胴体については何も書かれなかったり、胴が虎で描かれることもある。また、『源平盛衰記』では背が虎で足がタヌキ、尾はキツネになっており、さらに頭がネコで胴はニワトリと書かれた資料も存在する。もはや日本版のキマイラ(キメラ)と言える。

「ヒョーヒョー」という、鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いたとされ、一説には雷獣であるともいわれる。また、出現したのは一般には平安時代後期とされるが、平安時代のいつ頃かは、二条天皇の時代、近衛天皇の時代、後白河天皇の時代、鳥羽天皇の時代など、資料によって諸説ある。

元来、鵺とは夜に鳴く鳥のことであり、『古事記』『万葉集』にも名が見られる。この鳥の正体は、現在ではトラツグミのこととするのが定説である。この鳥の寂しげな鳴き声は平安時代頃の人々には不吉なものに聞こえたことから凶鳥とされ、天皇や貴族たちは鳴き声が聞こえるや、大事が起きないよう祈祷したという。


2012-12-18

有田芳生の幼少時の思い出とは

有田氏が「幼少時の思い出」を彼自身が幾度か告白している。
いずれも「共産党」「左翼活動家」としての深い根が伺えるエピソードだ。

■有田氏が出演した「いつみても波瀾万丈」(1998年9月27日放映)で、
子供心に一番印象に残っていることとして、

「1960年に安保の問題が社会問題になりましたけども、そのときには親と一緒にデモに行った」

と語っているwww 

■さらに「週間文春」の「『家』の履歴書」では、次のように述べている。

「そうそう。鮮明に覚えているといえば、五九年(7歳の時)に『アカハタ祭り』が浜離宮であって、両親に連れて行かれたんです。
 父親が手帳を出して、『あの小父ちゃんのところに行って、サインをもらってきてくれ』と頼むんですよね。・・・・・・それが、野坂参三だったんだけれども・・・・・・でも、あの時の野坂参三の顔と口調はいまでも忘れられないなあ。
 手帳を手にして戻って来ると、親父も嬉しそうにしていましたよねぇ」

やっぱり血統書つきの共産主義者か・・・。
(参考:有田芳生の偏向報道まっしぐら)


※アカハタ祭り・・・・1959年(昭和34年)にはじまった日本共産党が主催する催事。1988年(昭和63年)には、昭和天皇が病で多数のイベントが「自粛」される中であえて開催され、保守系団体から多くの反発を招いた。ここ数回は毎年は開催されず、2002年、2006年、2010年と4年おきのペースで開催されている。

※ 野坂参三・・・・・[1892~1993]社会運動家・政治家。山口の生まれ。慶大卒。衆議院議員、参議院議員、共産党中央委員会議長。大正11年(1922)日本共産党創立時に入党。昭和6年(1931)第三インターナショナルへ派遣され、ソ連・中国などで活動。第二次大戦後に帰国し、党中央委員会議長を経て名誉議長となる。平成4年(1992)スパイ容疑で党から除名。

拡散歓迎(^^♪

拡散歓迎(^^♪